諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

空っぽになったらポイされるんだよ

 「結婚に対して意識しているか」という話が、この間出た。
 その時は適当なことを言ってごまかしたものの、帰ってからしばらく考え込んでしまう。
 結婚って何だろう。

 あ、別にこのエントリは社会の変化云々に関して述べるわけではないので安心してほしい。自分の話。
 あとエントリタイトルで思い出したけれど、陽毬のキスの話の後であの回想話というのはとんでもない構成だと思った。

 以降、断片文章。

                  • -

 私の結婚に対する意識の低さは、まず結婚式イベントの少なさにあるのではないかと思う。せいぜい二回だし。親しい友人から結婚式の招待状が来るというのもまだ体験していない。twitterで結婚に関する話題および結婚したtwitter-erの方々をお見かけする回数の方が多い。
 ありていに言うと、結婚について考えることがほとんどなかった。
 というか、それほど頻繁に訪れるのだろうか。結婚を意識することが。
 ここで、私が、“引く手あまた”で“もてもて”で“異性に困ったことがない”ようならば、話は違ったのかもしれない。
 あいにくそんなことはなく、ずっとあの残滓を求め続けながら、私はここまで来た。

                  • -

 結婚式については、数年前に文章を書いた。従姉の結婚式の時の日記。
http://save-own-sentences.tumblr.com/post/12366260134/2010-03
http://save-own-sentences.tumblr.com/post/12454903644/2010-03
http://save-own-sentences.tumblr.com/post/12502610152/2010-03 
 あのイベントは今でもかなり記憶に残っている。
 しかしながら、それが自分にもきうるのかと思うと、まったくぴんと来ない。予定もないのだから、仕方がないのかもしれない。

                  • -

 個人的には店長さんのpostが頭に残っている。
http://twitter.com/_mk2/status/2022702845

                  • -

 相変わらず、自意識について書くのはいまだに苦手だ。
 ましてや「あれ」を「自意識」という単語に落とし込むのも。
 ここで、白状する。
 「相手は自分と結婚してくれないだろう」という思い。
 それが最大の足かせ。

 ここでの「相手」は、いるかいないかは関係ない。
 いようがいまいが、「いるとして、こんな自分となんて結婚してくれないだろう」なんて考えが頭をもたげるのである。
 こわいこわい。

                  • -

 あとは、結婚という制度の話もある。制度への意識。結婚に関する話の時にも、そういう制度上のメリットデメリットの話は出た。
 今まで意識していなかったそれを意識するとき、ようやく制度について調べ始めるのだろうし、いま考えたって仕方がないのだろうと思う。

                  • -

 結婚についての話が出た時は、「結婚したら遊べないじゃん」であるとか「できるならしたい」であるとか、さまざまな意見が飛び出しているわけで、その多様さは意外でもあり面白くもある。
 こういう時の模範解答が気になる。建前。結婚に対してどう言えば角が立たないか。なにせわからないので。

                  • -

 少なくとも、私に関しては。
 ずっと残っている気持ちの整理が終わらない限り、ずっと上記のようなことを断片的に考え続けるのだと思う。
 だからこそ、「その時になってみれば分かるよ」なんて言われたら、やっぱり少しばかり、おこってしまうかもしれない。