諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

失敗しうることは失敗するだろうから

 マーフィーの法則が大好きである。

 最初に出会ったのはなんだっただろうか。確かマーフィーの法則に似たもので、「機械が壊れたことを誰かに証明しようとすると動き始める」。あれほど腑に落ちた時もなかなかない。
 失敗しうることはいつか失敗する。なんとなく、この法則を意識しているだけで危機管理へ対応している気分になる。

 いつだったかこの法則に関して考えたこと。
 例えば、機械にA,B,Cのボタンがある。AとBは機械の操作に必須。ただCは絶対に押してはならない。Cを押すと爆発する。
 こういった状態に置いていると、駄目だと分かっているのにミスや何らかの要因でいつかCを押してしまう。ボタンとして同列に並べてしまう以上、仕方のないこと。Cを押して欲しくないのならボタンのままにしておいてはならない。Cがどうしても保安上必要な場合はA,Bと並べておいてはならない。
 このあたりの考えはフェイルセーフの思想と一致する。

 これを頭に入れておくと、日常生活でも、「失敗することを防ぐ」よりも「失敗しうることを防ぐ」ことに意識が行く。
 ここに刃物を置いておくとぶつかったり落としたりして大変なことになるから仕舞っておこう。
 ここで作業するとこういうことになるから移動しておこう。
 こんな具合。 
 ただし、やりすぎると「傷付きうるから傷付きうるような行動をやめよう」になるわけだけれど。


 マーフィーの法則というのは意外と適用が広い。
 先に示したフェイルセーフ・ポカヨケの考えの他、「失敗した例外状態ほどよく覚えている」という記憶状態に関する内容もある。「機械が壊れたことを誰かに証明しようとすると動き始める」も後者。
 珍しい成功も珍しい失敗も、人の記憶に残りやすい。クイタンであがった時よりも役満をあがった時の方が記憶は鮮明。
 失敗する時に限ってこうだ、という考えは、「勝手な法則づけ」にもつながってしまう。

 マーフィーの法則が好きな理由。
 それは動物っぽさが出ているからなのかもしれない。
 やってはいけないことをやってしまう。やってはいけなかったことばかり覚えている。
 「傷付きうるから傷付きうるような行動をやめよう」というのも、ある意味では、過去から学んだことによる勝手な法則付けなのだろう。