諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

卒業式へのあるはずのない憂い

 twitterで適当に喋っていたこと関連。
 卒業式が琴線に触れることがある。よくある。
 かといって、今までの卒業式にあまり具体的エピソードはない。

 そんなものだろう、と勝手に思っている。
 卒業式を迎えた人全員が全員、ドラマティックな出来事でそのイベントを終わる、なんてことはない。
 まっすぐ帰る人だって卒業式は卒業式だし、行かない人だって卒業式は卒業式だし、風邪を引いた人だって卒業式は卒業式。
 私だって一番覚えているのが、部活の友人のあまりの緊張による手足一緒の行進→皆が小声で注意→気づいて直したと思ったらこんがらがって手足一緒の行進でみな笑いをこらえる、というのくらいだ。

 卒業式で戸棚の鍵を渡されたかった。
 卒業式のあと文芸部室で手紙を見つけたかった。
 ぱっと思いつくとこういうのだけれど、「ほんとうに?」と訊かれると「別に」と思う。

 巻き込まれたいというより巻き込まれているのを見たいというのはある。
 そして、巻き込まれているのを見たいというより巻き込まれているのを想像したいというのがある。
 こんなことを考えると、自分の中で琴線に触れる卒業式というのは、想像で思い切りドラマティックにした卒業式なのかもしれない。実際に体験することなんてないだろうと、自分自身で知っている。