諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

引っ張る泣き声

 子供の泣き声がこんなにも苦手になっているとは思わなかった。

 昨日、スーパーに行った。
 安売りのカップ麺を探している時、中央の通路を走る男の子の姿があった。見た目五歳ほど。不安げな顔で、「お母さん、お母さん」と言いながらふらふらと通り過ぎていく。やがて声が不安定になり、泣き出した。
「おかーさーん!」
 声量が大きく、震えたその叫びは店内に響く。スーパーはそれほど広くなく、迷子というほどの状態ではない。無関係の私ができることは少なそうだった。
 案の定、その子はふらふらと親の姿を探し、レジのほうに向かった。泣き声が遠ざかっていく。二分もすると静かになった。見つかったか店員さんに声をかけられたかしたのだろう。

 私が驚いたのは自分自身に対してだった。その子の泣き声に、言いようのない不安と焦燥を感じ、その場から離れたくて仕方がなくなったのだ。肋骨の辺りをつめで引っかかれるような感覚。
 そそくさとその場を抜け、泣き声が小さくなるよう端の売り場まで移動して息を吐く。目につんと来るものを感じて、本当に驚いた。遠くで聞こえる泣き声が、背中に爪を立て、引きずり込んでくる。
 正直言って、その泣き声を忌避したくて仕方がなかった。今まではそんなことなかったのに。むしろ慰めることだってできたのに。
 どうしてだろう、と、帰り道で考える。

 自分だって子供の頃、泣くことは沢山あったのだ。そしてそういう記憶ほど、ずっと残り続ける。
 ただ、自分の泣き声が、どれだけのひきつける「力」を持っているのかは分からなかった。
 しかしあの子の声は、ものすごい「力」で、引っ張り込んできた。なにかをせずにはいられないような声で。

 まだちょっと、よく分からない。きっかけなんてないのかもしれないけれど、いつの間にか、苦手になっていたのだろう。
 ちょっと怖い。もっとあの声が嫌いになったら、たとえそれがどんな状況であろうと、逃げ出してしまうに違いないから。