諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

ボードゲーム日記:改めて囲碁を覚えようかと

 将棋や麻雀は、それこそ幼稚園くらいの頃から父に教わり始めた。
 将棋に関しては、幼稚園時代のアルバムの一言コメントにその証拠が残っている。他の子は「アイスクリームやさんになりたい」とか書いているところ、私の所には「しょうぎたのしい」などとあった。どうかと思うけれどネタにはなる。
 もう少し大きくなるとできるゲームも多くなった。オセロからチェスからバックギャモンから、チェッカーやポーカーまで。
 やはりそこでも父の影響は大きい。チンチロやトランプのおいちょかぶ。こうしてみると父はギャンブルが好きすぎる。まあ、「ほどほどに」ギャンブル好きという性格は受け継いでいると自負している。深追いはしない。


 それでも、できないゲームはあった。
 そのひとつが囲碁だ。
 父ができなかったために教わることがなかった、という要因は当然ある。家に道具もなく、あまり触れる機会もなかった。一時期の囲碁ブーム再燃の際にもちょっと覚えようとは思ったけれど途中で断念。
 そんな感じで、私の中での囲碁は、「だいたいのルールは知っているがプレイできない」という珍しい状態になった。


 囲って石取りゲームくらいならできた。オセロ版で友達と。ただルールを決めていなかったのでコウなどは無視。そういうのでは当然おままごとみたいになるわけで、囲碁の感覚をつかめたとは言い難い。
 分からない点については整理していた。勝利条件、地というのは一体なにでそれは言葉で定義されているのか、序盤なぜそういう場所に打つのか。
 しかしこの疑問は長く解決されなかった。


 そして、最近。
 出先でボードゲームの会話になりいろいろ持ってきたりして、ある程度流行らせることに成功した。また、出先にもともとおいてあるものもあった。将棋、麻雀。
 そんなレパートリーに、囲碁というものは突然現れた。
 この間日記でも書いた、数週間の引っ越し。移転作業。その時の廃棄場所に十九路盤セットがあって、それを同輩が拾ってきたのだった。
 そんなわけで、囲碁に再び触れる機会ができた。

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 囲碁を知っている先輩による講座。そこから始まった。
 十九路盤から始めるわけにはいかない。当然だ。九路盤から。
 ルールはある程度抑えていたので、せっかくだし、初心者らしい疑問をぶつけて、先輩に答えてもらうという流れにした。
 一つ目。
 私は適当に盤を指さす。
「どうしてこの辺から打つんですか?」
 序盤の動きについて。
 囲碁をみているとだいたい三々(端から3,3のところ。以後便宜上座標で)の場所とか星(4,4)とかに打っているような印象がある。ぼんやりながら。ちなみにこういう「印象」というのは麻雀やっていない人が麻雀を見て「十数枚の牌を引いて捨ててたまに全部表にする」というような印象と変わらない。大まかなくくり。
 ただやはり、序盤というのは重要だと思う。麻雀で初手にその牌を切るのは、その牌を持っているとアガリまでの手数が遠くなるためだ。チェスで初手白e4なのは、オープニングで中央へ進ませつつ他のコマの動かせる場所を増やすためだ。オセロで序盤取りすぎないようにするのは、中盤以降の取れる場所を生かすためと、相手に囲ってもらうためだ。7ならべでAやKを置くための布石行動をとるのは、それらのカードが置きにくいからだ。
 そういった定石を知ることで、初めて破戒が生まれる。その他の手を考えることができるようになる。なぜその手が良手/悪手なのかわかるようになる。
 先輩は教えてくれた。
 端と中央、何が違うか? それは、囲われやすさ。例えば角(1,1)に黒を置いたら、白を二か所(1,2)と(2,1)に置くだけでとられてしまう。しかもそれを防ぐよう、黒(1,1)、白(1,2)、黒(2,1)、白(2,2)と縦に伸ばしていくと、いつかはやられる。
 辺の石を囲うには三か所。中央は四か所。
 石を取られるとその分はハマと呼ばれ終局後地の埋めに使われる。簡単に言うとマイナスポイント。
 なるほど。
「なら、囲われにくい中央から押さえていくべきでは?」
 ……中央は、囲われにくいが囲いにくい。三々に打つと、相手がそれよりも内側に打ったところで囲って取りやすくなる。つまり角を自分の陣地っぽく牽制する手ということ。
 そして三々とかそういったのの外側の手として、星やら小目やらがある、と。……
 こんな感じの説明だった。模擬戦をやってみると納得できる。取られるか、取るかという位置取りのようなもの。
 ちなみに、教わるうち、この「牽制」こそがどうやらカギになるらしい、と私は思った。牽制合戦。


 二つ目。
「『地』って何ですか?」
 雰囲気的に言われても、さっぱりわからない。最終的にはその数が勝利ポイントになるはずなのだけれど、ルールを知らない人にとってはそれが見えないのだ。
 先輩は適当に石を置く。
 ……ここに置くと、だいたいこの辺が地。ここにも置くとこの辺全部。まあここだと相手が入り込んできて地が確定するわけじゃないかな……。
 すごく分からない。

囲碁において地(じ)とは、白黒双方の対局者が自分の生きた石だけで囲い込んだ空間のことを指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0_(%E5%9B%B2%E7%A2%81)

 これについては、模擬戦をやるうちに分かってきた。
 基本的に、先に一つでも石が置いてあると、囲い合いになった時有利なのである。相手が囲おうとしてきたら、すでにある石と打つ石を縦横で繋げておけば、囲い終わるまでに多くの石を費やす必要があったり、囲いきれなくなったりする。逆に、すでにある自分の石の横に相手が置いてきたら、自分の石を利用して囲いに行ける。
 これらを考えると、すでに自分の石で「囲いのようなもの」ができていれば、そこに相手は置きに行けない。すぐ石が取られる。
 そうするとどんどん、牽制合戦になる。
 自分の石を囲われにくくなるよう繋げ、相手の石を囲いやすくするよう分断する。そうすると囲碁でよく見る終盤のようなきっちり囲いのできた状態になる。
 で、得られた領地が、地と。


 模擬戦をやると、中盤の悪手は徐々に理解できるようになる。ここに置くと取られる。この感覚は将棋の駒の効きに近いのかもしれない。逆に言うと、「ここに置くと取られる、じゃあここに置こう」「ここの石が囲われそうになっているからここに置いて助けよう」といった考えが簡単な「読み」になる。
 それさえ繰り返していけば、なんとなくそれぞれの領地というのが盤となって表れてくるようになるのだ。
 ちょっと楽しくなってきた。


 三つ目。今のに関連しつつも、話が戻ってしまう。
「じゃあ中央からとっていけばいいのでは?」
 わざとこんな質問をした。理由がある。
「たとえば九路盤だと、置ける場所は八十一カ所。一手ずつ置いていくわけですから、自分と相手で半々くらいになります。端から詰めていくとすると、勝負が決まるのは中央をとったかどうかになるのではないですか?」
 当然、石を取ったり取られたりはある。しかし、牽制合戦である以上、お互いに領地を取り合ったら、最後の一目がカギになるのではないだろうか、という自分の考え。一応頭の中にあるのは41目対40目みたいな図である。囲いの手数はパスがない以上ほとんど同じだから計算に入れなくてもよい。
 ところがやはり、そうはいかない。先輩は首を振る。
 先述の通り、中央はすぐに制圧するのが難しい。かといって中央を囲うようにすると、相手に周囲の地を確保される。
 先輩が見せてくれたのは額縁のような図だ。外が白で、中が黒。中地と呼ばれるもの。内側だけをとっても、意外と地の数は大きくならない。
 なるほどなあ。端や辺を確保しつつ中央の牽制合戦に勝てば勝利へ近づく、と。
 ただやはり、九路盤くらいでは中央も十分有効らしい。大きい盤だと違うのだろう。それこそどうぶつしょうぎと将棋の駒の効き具合の差のように。


 あとはレクチャーされつつ模擬戦。
 ハンデとして置き石置き石が星に置かれる理由もここまでくると分かってきた。
 上級者と打って、悪手が「プレイによって」咎められることは理解につながる。子供の頃、将棋で父に嫌というほど飛車を取られた。対戦テレビゲームでも、安易な攻撃は反撃を食らう。
 やっと、置いてはダメというのが分かってきた。


 石を生かすことについても教わった。
 ルール関連は読んでいたので「二眼」については知ってはいたものの、よく分からなかった。
 「自殺手は打ってはならない」「その一手で石を取れる時のみ着手禁止点に打ってもよい」の二つのルールによって成り立っている、と分かった時、これを理解した。生かすためにはルールを利用して自殺手になる場所を二カ所以上作ればいい、というわけだ。ただすごく難しい。セキとかナカデとかも意識できていないし。


 ここまでやると、ダメ埋めに関しても簡単に理解できる。
 例え終盤でも、取られうるところをしっかりしておかないと、咎められる。まるで停戦協定のような終盤処理。


 最後の質問。
「先手ってそんなに有利なんですか?」
 コミについてだ。先手有利による6目半(十九路盤)のハンディキャップ。
 今までの話と模擬戦で、先に石を置くことの有利については分かった。ただそれが6.5ポイントの差になるとは思えなかったのだ。
 まあ、こればかりは、やっているうちに分かるのだろう。
 「有利だよー」と先輩に見せてもらった序盤順から見ても、なんとなくしか分からなかった。なにかもっとイメージしやすい場面があるといいのだけれど。

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 こんな感じの講座だった。
 今もハンデをもらいつつ何回か対戦中。何十もの石が死んだときのショックと知識不足痛感っぷりがどうにもならない。
 ただ、講座では疑問の解決に徹したことにより、把握が早かったように思う。ルール記憶からだとまた違ったのだろう。
 せっかくだしこのまま初級者レベルくらいまでは覚えていきたいなあ。