諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

家出の思い出の初出

 家出の経験について友人と語り合ったことがある。小学生の時かな。
 それこそ幼稚園くらいからの付き合いである、地区の同級生。AとBと私。タイプは全く違っていて、それこそどうして一緒に遊んでいたのかというくらいの微妙なバランスだった。周りに他の遊び相手がいなかったというのが主な理由ではあるものの、あのトリオは今でも不思議である。今でも会えば話す。ただもう数年は会っておらず、三人集まるときはおそらくもうない。あとで詳しく書くときがあるかもしれない。

 三人で家出、ということはなかった。様々なことはやったものの、家出の経験はなかった。野良猫を捕まえるべく専用の箱閉じ込め装置を作ったり、山奥の綺麗な沢に秘密基地を作ったり、遊ぶ地域はかなり広かったけれど、必ず家には帰っていた、
 泊まったこともほとんどないなあ、と私が言うと、一通り盛り上がる。毎日毎日遊んだのに、お互いの家に泊まったことはまずない。というのも、AとBの家は歩いて三十秒しか離れていない。私の家とも五分くらいだ。「いつでも行ける」という近さと、「毎日学校で会う」という状況が原因だろう。幼稚園、小学校、中学校と同じ。宿泊とはまた違う場所に、私たちの付き合いはあった。

 なら家出はあったか。
 私はない。せいぜいが部屋や物置に隠れるといったもの。おとなしさを具現化した存在とまで言われた。両親にも「暇ならAやBのところに遊びに行けばいいのに」なんて勧められるくらい。
 一人で、というのは、誰もないらしい。
 ところが、AとBは二人で親から逃げたことがある、とのこと。Aが言うと、あったあったとBが笑う。
 両方の親に悪戯がばれて怒られ、散々逃げ回った挙句、回り道して自分の家の農具置場に隠れた。夜が更け、不安が空気を満たしたその時に、自分たちを探す親の声が聞こえ、プチ家出は終わったとのこと。
 どうしてこれほど私がしっかり覚えているのかといえば、彼が文集にそれを書いたからだ。

 小学校の時分では、家出の場所はかなり限られていた。
 なにせ町を出るのにも車以外では厳しかった。バスは一日数本限定に加え乗車賃が当時は高かった。駅も宿もない。自転車が一番有用だったが、逃げる場所はすぐには思いつかない。
 ただ、覚えていないだけで、けんかして家を飛び出す経験は何度もあったのだと思う。
 家出において手段はそれほど主題にはならず、逃げる経験と勇気がそういったものを支えていたのでは、と思う。
 Aは今南のほうで働いている。Bは地元のほうで、週に一度くらいは帰ってくるらしい。
 私自身、独り暮らししている今、家出の感覚なんて、もうなくなっている。