諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

イースオリジン:強さという単語が響かない話

 イースオリジンの二周目をこの頃始めている。win7版じゃないから新PCにはインストールできないと思い込み仕舞っておいたのだけれど、普通に公式ページにvista対応方法書いてあったという。簡単だった。
 アクション久しぶり感とダンジョンの懐かしさが相まって、けっこうさくさく攻略中。楽しいなあ。
 というわけで、ユニカハード二周目が終わった感想。
 作中で繰り返される「強さ」という単語がストーリーを支えている分、その「強さ」がぼやけているのでよく分からなくなっているよ、なんてお話。
 ちょっとばかりネタバレ注意。ぼかしながらもボス戦前のことが書いてある。


 感想。一周目はユーゴ→ユニカだったから、むしろ、ストーリーのひねりばかりを意識していた。そう考えると、ユニカからやった時、展開のストレートさは映える。
 進むことのシンプルさが、塔登りの退屈さをなくす。
 徐々にレベルが上がり、困難をクリア。そうすることで、見習い状態から周りに認められ、力を借り、進んでいく。
 ラストの選択とともに、それはとても分かりやすい。


 しかしながら、このゲームをやっている時の「冷たさ」は抜けない。すごく淡々と進む。他キャラルートでも同じ。会話の飛ばし方・全貌の見えなさだけでないものがある気がする、と思い、少し考えてみた。


 知らない方のためにちょっと解説。
 イースオリジンでは、いなくなった女神たちを探すべく、プレイヤーキャラクタたち捜索隊を結成し地上に降りる。そびえ立つ塔に女神たちがいることを知って登り始めるが、そこは敵と魔物たちが住む魔窟だった。女神たちはどうして姿を消したのか? 敵の思惑とは? 主人公たちは自分の目的を果たせるのか? といった感じ。
 プレイヤーキャラクタ、ユニカ=トバについてはこちら。公式サイトより。

主人公の一人。
神官トバの家系に生まれた天真爛漫な少女。幼少の頃からサルモン神殿の女神宮に忍び込み、そのつど女神たちから妹のように可愛がられていた。神官の家系に生まれながら魔法の使えない落ちこぼれだが、あえて神殿騎士に志願し、女神の捜索隊にも強引に参加した。
http://www.falcom.co.jp/yso/character.html

 見習い騎士だった彼女は、女神たちを追ううちに成長し、周りの力を借りて、困難を打ち破っていく。
 本作では複数のプレイヤーキャラクタがいて、それぞれに背景・目的・展開・コンセプトなどが異なる。
 例えば、ユニカでいうと、「魔法が使えない、しかし」というのがある。
 その言葉は作中いつでも暗示される。
 わたしは魔法が使えない、しかし女神たちを助けたい。
 彼女は魔法を使えない、しかし違う強さを持っている。
 彼女に対し立ちはだかるのは、当然、魔法の力だ。魔法具がないと通れない陣、魔法によって通れない場所、強大な敵の魔法に為す術のない状態。
 それらを攻略によって、あるいは周りの力を借り、打ち破っていく。強大な魔法を持つ敵も倒す。


 ……なのに、プレイしていて消化不良感が抜けない。
 最初は、「敵を倒しきれない」ところにあるのだと思っていた。HP削りきって「次は許さない」みたいなことを敵が言って転送魔法で消える。いくつかそういう戦いがあって、こうなるとユニカの頑張っている印象が遠く感じるのだ。ましてやこちらは魔法のない身。敵は言いたいことだけ言って戦わず去って行ったりもする。
 同じ会社のゲームである零・碧の軌跡でも表面化したこの感覚は予想以上に大きいのかな、と。壁を打ち破る一巻での敵を倒すというの流れなのに、敵はまだ余裕を持ったように立ち去っていく。
 しかしながらこのゲームは零・碧の軌跡と違う。イースオリジンでは、敵は最後に倒せる。一度目では倒せなくても、決戦の場は用意されている。
 ならば、やるせない感覚はここから来てはいないのだろうか。


 考え直すと、「魔法」の強大さが引っかかりになっているようだ。
 今作における魔法は強い。
 あまりにも。
 それはキャラクタからも伺える。捜索隊にも魔法使い勢が幾人もいるし、闇の軍勢はほとんど魔法を使える。


 例えば、転位魔法をあげよう。
 敵が現れるとき、消えるときによく使う。未プレイの方はポケモンの「そらをとぶ」だとか「テレポート」を想像してもらえるといいかもしれない。あと少しで倒せそうな時も、大事なものを奪われた時も、それで逃げられてしまう。
 ユニカはそれを使えない。
 せいぜいが捜索隊として渡されたクリスタル(地図)を用いて既知の場所(セーブポイント)に転位するくらい。いくら強くなってもその差は埋まらない。究極的なことを言うと、闇の軍勢が女神たちをさらい転位魔法を使って塔の色んな場所に逃げ回られたら捕まえようがないのである。
 塔を登り、困難を排除し、女神たちを探すというコンセプトからすると、魔法はとても遠く見える。

 ここで注釈を入れておくと、魔法の強さは世界観からの要請ということだ。黒真珠の話だとかシリーズ通しての設定だとかからするとそれは当然のことである。
 そういう意味でユニカが「魔法を使えない」ということは一つのポイントとして理解できる。
 魔法を使えないプレイヤーキャラクタ。だが「魔法を使えない、しかし」という文言が彼女を塔に登らせる。
 魔法以外の力によって、ついに敵へと肉薄する。その流れまでは分かりやすい。


 しかし、そこからだ。
 ラスボス戦前。
 彼女は強大な魔法の力に押しつぶされかける。
 そして、強大な魔法の力によってそこから難を逃れ、道が開かれる。
 ここがつらい。
 成長を見てきたプレイヤーにとって、その力があまりに強大すぎて、結局駄目なのだと思ってしまう。「敵を倒せる者」は自分ではない。
 そこから助けられても、「助かった要因」は自分ではない。ありていに言えば蚊帳の外なのに、ラスボスに挑むのはユニカだ。とてもやるせない。
 そこからのラスボス戦。もはやなぜユニカが戦っているのか分からない。ましてや魔法能力の権化のようなラスボスをどうして倒せたのかも、プレイしていて理解ができなくなる。
 このあたりが消化不良の要因なのではないか、と。
 魔法を使えない、しかし別の力でそこまであがってきた。ところが作中で戦うその場所に、ユニカはいても、ユニカの力はほとんどない。


 「魔法を使えない、しかし」、というユニカストーリーのコンセプトをしっかり貫いてほしかった、とは言えない。まわりの魔法の力によってユニカが助かった場面も多々あるからだ。別ストーリーから言っても、魔法の強大さの要請は必須だろう。
 ただ、どうにも空しいのだ。見方によっては、ユニカじゃなくて他の人が戦えばもっと簡単な結末になったのではないか、と思ってしまう。
 ユニカの、他の人の力を借りる場面はおそらく最後まで必要だったのだろう。しかしながら、あまりにその力が彼女にとって届かない位置にあり、そして簡易に魔法が行使されているように描写されている以上、その空しさは消えない。


 ここまで書いてから、読み返して首をひねる。
 言うのが難しい。
 ユニカにしかない能力で倒してほしかったかというとそうでもない。魔法が出てきて欲しくなかったかというとそうでもない。ヒロインなんだから届いてほしいなんてストーリー約束を語るつもりもない。
 ただ、感情的に描かれている終盤なのに、冷めていくように見える。
 それはなにより、魔法行使が簡易で強大すぎて、作中で語られる「強さを持つ」だったり「ユニカの強さ」だったりとそういったものが、あまりに適当に語られすぎているからだろう。サブキャラクタの言葉があまりに空しい。強さという言葉は、ユニカへの慰めに使われる単語ではない。
 頑張っていて、魔法以外の力を得て、周りの力を借りて、切り開いていったはずのユニカが、ボス戦になると道化に映る。これがあまりにも悲しく、淡々と進むストーリーだと感じてしまうのだ。