諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

地元に帰ったことと帰ってきた若者のこと

 お盆は多忙で休めず、かわりに二週後の月曜日から一週間ほど休暇をもらった。
 せっかくだしその期間のことを日記に書こうと思ったものの、火曜日に呼び出しがかかり水曜日には戻ってしまったので、それほどゆったりしてはいなかった。
 というわけで、月曜日に帰った時のこと。

 実家に帰ったのはいつ以来だったか。遡る遡る。たぶん年末年始以来。
 バスに何時間も揺られると時間の感覚がなくなってくる。そろそろ夕方。急に車体が揺れ、眠気を飛ばす。地元の道路はまだいくつかこういうところが残っている。
 震災の爪痕。去年、地元に帰ってきた時は、むしろその「回復力」に驚いた。内陸地域ではあるにしろ、震度7を記録し、倒壊する建物があり、道路がしばらく通行止めになっていたこの場所。回復するための頑張りが、一見するだけでは分からないほどに街を回復させている。
 当然、これは一部だ。それを忘れてはならない。ここから車で三十分も走らせれば、未だに建物が軒並み消え去ったままの地域がある。南へ数キロの空き地には、仮設住宅が並んでいる。爪跡が残っているところと、直したところ。それらが混在し、未だ途中であることを意識させる。

 バスが着いて、しばらくあたりをうろつく。こうしてみると、バス停周辺の景色は数年前と全く変わらないように見える。隣の公園も並木も。
 と、そこに、たむろしている若者がいた。
 公園の芝生に堂々とバイクやスクーターで入り、バイクを弄ったりしゃがみこんで喋っている。
 新鮮に見えた。彼らが。
 ……もちろん、昔にそういう人たちがいなかったわけではない。前からいた。古いショッピングセンターの駐車場に、コンビニの前に、歩道をふさぐように、彼らはいた。私も前に絡まれたことがある。
 なら、どうして新鮮に見えたのか。
 ある時、彼らは消えたからだ。あの、震災の時。
 電気も水道も電波も交通網もガソリンもなくなりかけた、あの日々。当然のように街に彼らの姿はなかった。「それどころじゃなかった」から。
 あれから一年半。彼らが戻っていた。彼らが戻ってきたことの是非については別の話でありここで述べる気はないけれど、そうして昔の姿と変わらない様子を見せていることに、新鮮さを感じた。
 もちろん、彼らのいる景色は前と同じではない。彼らの近くに置いてある自動販売機は震災時供給対応のものにすべて切り替わっているし、工事が遅れている歩道は未だに大きくへこみ、マンホールの部分だけ急に盛り上がっている。
 それをみて私は、「戻ろうとする力」の強さを思った。
 地元に戻ると、本当に思う。その力があまりに圧倒的であることを。地震から一か月経って戻った時もそうだった。戻ろうとする力。応援や状況変化とはまた別のベクトルで、その力は大きくかかっている。
 当然その力も万能ではない。それを思うと、何とも言えなくなる。

 実家へ戻る途中、父と話す。
 親戚の家の話。やや高いところにあったものの津波の被害は免れず、ちょうど敷地が津波に覆われる境目のところで、瓦礫がかなりの量つみあがっていた。
 最近、やっと家の再建に関する話が持ち上がってきたものの、建てる予約はもう数年にわたって埋まっているらしいとか。それでなくても建築制限がかかっているので、まだどうなるか分からない。
 移転したケーキ店の話、目に見えて混んでいるパチンコ店の話。
 私の現住アパートの近くでは空き部屋がかなり少なくなった話。
 強いが万能ではない力のことを、もう一度考えた。