諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

刺さっていたとげが抜けそうで

 やっとここ数か月立ちはだかっていた壁を乗り越えられそうで、いくらかほっとしている。
 日記を書く暇もなかった。いや、暇はあってもあまり触れなかった。
 開始三十日の「どんなことでもいいから続ける」からその後の「書くことができたらその都度」を過ぎ、ぴたりと止まる。こうした推移は昔作ったサイトやらブログやらと似通っていて、どうにも変わらないなと落ち込む。

 ここのエントリに限らず、なにかを一定期間続けることについて。
 徹するなら、習慣にすべきか、衝動にすべきかというのは前から迷っていた。
 三年前には四月スタートで毎日日記を書こうとしたこともあったものの、徐々につまらなくなり、、出来事の列挙だけになり、いつの間にか何も書いていないページが増えてきた。そしてある文を書いて以来きっちりやめた。
 徹するには私自身の持つ「言い訳」が多すぎるのかもしれない。
 習慣を信条にすると、習慣が切れたことを理由に辞めてしまう。
 衝動を信条にすると、衝動が来ないことを理由に辞めてしまう。
 いつか言い訳できなくなる時が来るのに、私はその手札を捨てる気にはならない。

 最近はまあ、ほどよく習慣と衝動を混ぜることでなんとなくの継続感を味わうことができる。代表的な場所はここだ。ただ当然、「味わう」ということは実際に継続していることとはイコールで結べず、どこかにしわ寄せがくる。
 例えばなにか書き残しておきたい出来事があった時の「書いておけばよかった」。衝動に訴えかけるレベルになるとすぐ書けるけれど、あとで整理してとなると、習慣も衝動も及ばないところに流れていってしまう。ふわふわと。