諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

感想―おおかみこどもの雨と雪

 さっきみ終わって、すぐ帰ってきて、という。
 注意をおいておこう。
 私はいま、ここ作ってから過去ないくらい感情的でしかない感想を書こうとしております。
 支離滅裂なところもあると思うのでその辺は生暖かく見守っていただければ。ネタばれは、ちょっとほのめかすくらいで。ネタバレありなら倍はすぐ書ける。あと、ちょこちょこここに書き足す予定。まったくネタばれを見たくないという方はすぐさま映画館へどうぞ! はやく!
 あと、みに行こうか迷っている方はともかく、これからすぐみに行こう、という風に考えている方は、ここのみならず、批評文とかを入れないでみに行って下さったほうがいいのではと進言します。まじあのへんのえんとりたいとるわたしのしかいからだけでいいのできえないのかな。そこをつっこんでいるじてんでじゅつちゅうにはまっていることがわからないのだろうか。いじょうぼうげん。
 みて、その気持ちを自分のものにしてくださると。そしてその感情にみちた、そんなすばらしい感想をぜひ聞かせてください。


 みる前に、あらすじとか小説版をちょっと借りてめくったりとかして、「あ、これは私にとってまずいな、覚悟しておかないとな」と思いながら、逃して後悔なんてしたくないのでみに行ったわけなのだけれど、それらを軽々と超えて、ずるいくらいにまぶしい世界が広がっていた。
 落ち着いたらもう一回みに行こうと思う。というかもっと時間を置いて、自分自身の中で噛み砕ければ、分析文とか書けそうな気もするけれど、いまはもう、感情的に打つことしかできない。たとえばあの道の右と左は舞台学でいう内と外に対応していてそこを通る彼らの対比にも使われておりまたあれを三叉路とみると三者の場所を象徴している、だとか、そういうのはいくらでも書けそうだとは思うのだけれど、もうそういうのはもっとあとにして、もう一回、もう一回、みに行こうと思うのだ。

 最初の二十分間くらいで、もう涙が出てきて、そしてそんなずるい展開を、ずっと続けて。
 というか、最初の二十分だけで、それこそ長編できるというか、そんな変な創作脳が出てきて、自分自身をぶっ飛ばしたくなる。それを言ったら、引越しからの日々とか、小学校とか、彼らのその後とか、それらはそれぞれで十分長編を支えられるほどの密度であることは当然で、それでもそれらはあの映画としてあるのがあるべきところなのだ。切り取りなんて、そんなの考えることすら。むしろ、それらの各密度が、外せないほど、引き伸ばせないほど、絡み合ってひとつの流れとして形作られていることに感嘆しかない。

 まず大きな点として、時間経過の妙が上げられるだろうと思う。たぶんこの辺はどこかの感想にもたくさん書かれているのだろうと思う。
 ものすごい。開幕二十分でさえ、ところによっては断片的に書かれているものの、それは決して省略しているわけでもなく、尺の意識というものでもなく、ほんとうにそのままで描かれている。
 時間経過については、「時をかける少女」「サマーウォーズ」については、それほど大きなウエイトはなかった。前者についてはむしろその経過がコンセプトの方面に用いられており、後者はむしろ数日間のうちでありながら、というのが描かれている。どれくらいそこが描かれるかというのはみる前から注目であった。
 今作はそれがとても大きく、そして効果的に描かれている。もうあふれるほどの小道具、映像技術、表情の変化。教室の変化とか、瓶、建物、景色、服、髪、目……。
 それらは当然、花、雨、雪、彼らの成長と直結しているから、どんどん入ってくる。

 投げ込まれる状況も、とんでもない。
 「あんな台詞いわせるの!」なんてことを思うのは、いくつもの作品であるわけで、それは間違いなく賞賛であり、自分は逆立ちしても出てこなそうだ、ということの実感でもある。今作でも、ある。いくつも。というか初対面で言うかあれ! 雪に!
 あれだけでもなく、例えばおおかみはきらいのところとか、そういう反復もしっかり行っている。ずるいずるい。

 考えれば考えるほど、あのシーン、そこからの教室、そして窓、とんでもない。
 心象風景も新しかった。冒頭によるものとその反復。ただし後半のところに出てくるとそれがまた違うものとして出現してくる。そしてそれは花が……という。心象風景とその使い方、二段構えの強さ。

 視点については、もとから注目していた。花ではじまり、そこから雨と雪に移動するのかな、なんて考えていたのだけれど、そこはむしろ移動ではなく、花から、花と雨と雪、それぞれの進みを表し、それがまた時間変化と合わさっている。
 語り口は新鮮味あふれるけれど、最後までみるとそれは納得であり、しかも、モノローグをほとんど入れない状態を維持しつつ、そこに的確に解説を入れる、そんなところが白眉だった。

 ああもう、こうして自分の中で噛み砕いていけばいくほど、その隙のなさに感服する。あらすじでいう迷っているようだったとか、しないようにしていたのにとか、おまじないとか、鳥とか、エピソードが後になってしっかり別のエピソードに繋がっていたことを理解させられる。
 小道具のちりばめ方とか、もう、もう。下手に喋れない。すごすぎて。
 本棚と彼の台詞との関わりとか。
 詳しく言うのも野暮に過ぎる。

 お風呂のシーンとかね。後姿でありながら、水面の動きで、というやつね。もうどうやったらあんな表現ができるのだろうか。遠い。あと初対面のあの台詞、今思い出しても怖気がきて、雪に同調したような気にすらなる。

 ラストについて。
 作品を最後まで見て、この先を見たいとか、どうしてもっとこの先をとか、きっちり終わっているとか、いろいろ考えたりすることはある。
 今作のラストは、この先の彼らも見てみたい、なんて思いつつ、それでも、ここでの区切りこそが、彼らのことの流れの決定付けであり、それが伝わってきて、彼らの表情が行く先を示していて、ここがいいのだな、と、思う。

 もう一回みに行こう。いまはただもう、もう一回、一人であれを受け取りたい、そんな気持ちでいっぱい。

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追記7/28:あまり情報を入れないようにしていた私が悪いのだけれど!
公式ページ監督インタビューにて、前述の時間経過に関しては完璧に解答されていました。
http://www.ookamikodomo.jp/interview/index.html
ぜひ読まれるといいかと思います。
なんだかしたり顔で余計なことを書いてしまって顔から火が出る思い。むしろ今も火が出ていますね。消したら余計につらいので残しておきます……。