諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

田の呼び名

 母の実家は稲をやっていた。
 いた、というのは、現在その土地の大半が道路に変わっているという意味。新たにバイパスが作られ、現在では家の前に大きく高架が通っている自体になっている。今は稲作をほとんど行っていない。よくあること、と言えばそうかもしれないけれど。
 私が子供の頃は我が家も手伝いに行った。人手が多くとれて、晴れの時を狙い、種まきや刈取り、脱穀などを行う。コンバインは高いし、ぬかるみがひどい田や移動するのが難しいところもあるので、採用していなかった。
 それこそ小学生の頃は、下手に種まきを手伝って苗床を壊したりすると大変なので、細かい仕事を請け負うくらいだった。種子が足りないところに手で足すとか、脱穀後の藁集めとか、そういったもの。

 ところでそんな小学生は、周りの大人の方言に囲まれることになる。
 なかなか慣れない。それこそ自分自身は学校に通い、せいぜい自分で発する言葉の語尾が方言っぽくなるくらいだけれど、大人と話していると方言からは不可避になる。「そんなぎっちょではいずくてわがんねべー」なんて言われて、苦笑いくらいしかできない。左利きではやりにくくてしょうがないでしょう、と母に通訳され、やっと意味が分かる。

 そうなると、実家の田も、方言で呼ばれていた。
 「いのめ」「いのよこ」「いのうら」「ひなだこざ」「きゃっぽした」「だんのうえ」。
 家の近くにある田、あっちの地区にある田、なんていうと混乱が起きるので、特定のあだ名をつけているのだ。
 小学校の私には混乱の一言である。
 田の位置は知っているものの、どの呼び名がどこの田か全くわからない。「お母さんどこ?」「いのうらでねが」と返されても、いったい母はどこにいるのだという話だ。
 それでも、聞いていてちょっと楽しい。土地をコードネームで呼ぶなんて、そんな状況はなかなかない。
 大人たちは「ひなだこざのはすぐ良いべげっども、きゃっぽしたは今度でねが」なんて、どこの田をいつ刈り取るかの相談とかで多用している。稲の育ちや日光の当たり方により、各田の作業を合わせるわけで、かなり便利らしい。


 最初の三つ、「いのめ」「いのよこ」「いのうら」については、小学生のうちに理解した。
 伯母が、「いのめの車」と言って、庭に停まっているうちの車を指差したからだ。
 「いのめ」は「いえのまえ」が訛り、音が消えたものである。「家の前」。
 いのよこ、いのうらも同様に、家の横・家の裏にある田のことを表している。分かってみると単純なものの、ほんとに発音が「いのめ」「いーのめ」なので、感じが浮かばなかった。


 次に「ひなだこざ」。これは予想がついた。
 少し離れた山の上、数十平米くらいの小さめの田を大人たちはそう呼んでいた。軽トラックすら通るのがやっとの山道を進んでたどり着くのである。そこはやや高台で、日の当たりがいい。「ひなだ」はすなわち、「日向」。
 こざが付くのは、結局よく分からなかった。数年前に母に聞いてもよく分からないらしい。「日向の高座」ではないかと予想している。


 「きゃっぽした」はもう田の名前という気がしない。
 特定地域では、「きゃっぽ」という方言はかなり通じる。「靴の中に水が入ってしまった状態」。動詞だと「きゃっぽした」「きゃっぽった」。別地域に引っ越したら、「きゃっぽる」として使われていたりした。これ地域分かっちゃうかな。まあいいか。
 そのあだ名がつけられた田は、日の当たりが良くなくて水気が多く、作業が大変だったりする。長靴でさえ、きゃっぽる。そういう自戒と嫌気を、名前として教訓にでもしたのかもしれない。


 最後、「だんのうえ」。私自身、これは分かりやすいと、理解したつもりでいた。それが間違いであることを、高校になって知る。
 漢字が段の上であることは自明に思えた。その田は斜面にあり、三段に分けられている。ほんの少し棚田っぽい。そういう意味で、「段がついた田」という意味なのだろうと思っていた。
 高校生の私は自信満々にそれを母に披露する。
「ちがうちがう」「え!」「あの田んぼの下に、一軒あるでしょう」「うん」「あそこ、『壇』って屋号がついてるの」
 屋号については詳しい説明は省く。調べるといくらでも出てきそう。家とか家系とかの俗名のようなものだ。歴史や経緯はあるだろうけれど、それこそあだ名と呼んでも差し支えない。
 「段の上」でなく、「壇の上」。壇という家の上にある田、という、それこそ上述と同じ位置関係による呼び名だった。


 こうして書いてみると、それこそニックネームのつけ方に近い。それほど大きな謎ではないのだ。
 子供の頃分からなかったことが成長してから氷解して、なんだか愛着が持てる。
 「いのめ、いのめ」と呟きながら、高架となったその土地を眺め、田の姿を思い出す。