諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

アニメ感想氷菓八話〜十一話:割り当てと押しと有無の話

 アニメ氷菓感想第三弾、愚者のエンドロール編。

 まず驚いたのは、尺の問題。探偵志望者の推理披露シーン、原作では三日間(三章)かけて三者の意見を訊いたわけだけれど、そこを一話で。長さという視点では驚きだったものの、内容はしっかり盛り込んでいる。
 氷菓編を五話で! なんて驚いていたものだけれど、愚者編を四話で! というのが二度目。原作は細かく章を分けてあるから、そのあたり話数割り当ても考えてあるな、と思う。三者推理の開始前を引きにした八話、「味でしょう」の冒頭で引きにした九話、不備追求の始まりで引く十話。

 始動の細かな変更はやはり気になってしまった。先述(http://d.hatena.ne.jp/hidoread/20120619/1340105553)の通りの「押し付け」がより表層に出た感じに思える。
 愚者編の「問題」への関わりは描写されている通りデリケートである。原作ではその点を折木が指摘すると古典部の面々は黙ってしまい、女帝が代替案を提示する、という流れ。
 ……映像で見ると、端的に言って千反田さんがだだをこねているように、と……。折木が嫌がるのも当然といったようにみえてしまった。「手短に済ませるには仕方ない」と妥協する、という基本の流れとはずれているように思う。

 あ、あと、千反田さん来訪のシーン。おもいっきり映像化するとは。けっこう驚き。
 「ふたりの距離の概算」での一エピソードは、その有無が重要になっている。私も連載時この点に気付いてpostしてたりもするけれど、そのあたりは単行本でフォローされている。
 で、アニメでは、そのフォローと違う描写、と。
 ……考えてみれば、このシーンの有無自体は大きな矛盾にはならないのではないかな、と。当エピソードでは有無の追及でなく真偽の追及がコンセプトなので。このシーンがあっても、あのエピソードは成り立つ。

 女帝との対話のシーンその一。アニメ版では女帝に押される折木を台詞とカメラ位置で表している。氷菓編における薔薇色の例えも継続させつつ、折木の逡巡も組み合わせてすごく効果的だった。
 淡々とした女帝の口調が、折木推理後には明るくなっている辺りも、後の展開に効果を示している。完成後の古典部三者の反応も違和をしっかり表していた。「あとで、です」の千反田さんとか見上げる摩耶花とか可愛い。
 三者の不備追及だけでなくタロットは当然重要なシーンであり、よく言われている古典部シリーズのコンセプト、後期クイーン問題のところだと思う。細かいながらもカバーしていて楽しい。
 そして女帝対話その二。折木の逡巡に割り込んだ一つ目と対照的な、女帝の言葉に割り込む折木。追求シーンであふれる愚者編ながら、あの追及は特に効果的だった。目を細める女帝とか。あと、実は、「それを聞いて、安心しました」のところをしっかり描くとは思わなかった。旅館でのラスト変更からすると変えてくるのではないかなと思ったからだ。むしろシーンの追加により、折木への効き方がまた違ったものになっている。
 効き方、といえば、里志も千反田さんも。里志は原作と明確に差異を置いている。それが、氷菓編の推理後などの折木との会話に激情という形で表現されている。新鮮だった。千反田さんのほうは、「説明下手」がアニメ版では影を潜めている。これも意図によるものだろう。十一話での折木の「どうしてなのか、言えるか?」や「主語と目的語が抜けてるぞ」が変更されているところから伺える。
 アニメ版となってまた違うキャラクタとなっていくのをみていくのも楽しい。

 エンドロール、となる対話は、文字としてのチャットからあのように変えたのは驚きだったけれど、そこは映像化の真髄、掛け合いと表情の変化、光の当て方が白眉だった。

 次はクドリャフカの順番編。今回以上に、「期待」の一語が四者のテーマとなる。楽しみ。