諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

主語を抜いて話す人の話

「来週飲み会かあ」
「お酒苦手みたいですよ」
「え、なに?」
「だから、お酒が苦手なんですって」
「だれが!」
「後輩の人です」
「なんだ、後輩の話かよ」

 主語(もしくは話の題や目的語)を抜かして話す人によく出会う。気がする。高校時代の後輩とか、中学時代の同級生とか。
 今回の出先の同年齢の人もそうらしい。
 私は彼との会話で引っかかることはないが、人によっては彼との会話がかなり癇に障るらしい。
「おまえ主語抜かして話しすぎなんだよ!」
 先日の上の人の言葉だ。私は横でそれを聞いて初めて、彼は話のテーマを抜かしすぎなのだと気がついた。

 ハイコンテクスチュアル、なのだと思う。……覚えたての言葉を使ってみた! 数年前友人と行った発表会ではその意味が分からず首をかしげていたけれど。今でも使い方があっているのか分からない。そんな感じ。

 すなわち、彼が話のテーマを省略してはいるが、その話のテーマは文脈から読み取ることができるものである、ということだ。
 会話でよくあることだと思う。で、その読み取りにくさが大きいと、会話にずれが生じる。
 変質者に注意しろ、との話で、急に彼がある場所の話をしたとする。話はつながっていない。が、「その場所に変質者が多い」という風に、主語を補うと話が通じる。
 ただ、人によっては彼と話していると「主語の読み取りづらさ」に戸惑うのだ。かみ合わない、といえばそれだけの話かもしれないけれど。かみ合う余地はある。
 「主語を省略している」のではなく、「主語を読み取りに任せている」。
 その度合いはともかく、会話においてそうすることは誰にでもあるだろう。
 麺類の話をしていて「冷たい」「暖かい」が特定の意味を持つように。

 高校時代の後輩と私は、かみ合わなかった例だ。
 後輩の話を私が聞いていると、三センテンスごとに別の話題に飛んでいるように感じる。「え、何の話」と戸惑う私。話が変わっていないにも関わらず戸惑われていることに戸惑う後輩。
 徐々に、徐々に慣れてきた。聞く側として重要なのは「認識」で、「彼は主語を抜かすが、その主語は今までの会話に隠されている」というのを知っているだけで、会話がかみ合うようになる。
「いまのところ、車は要らないよねー」「切符、ってのも面倒くさくないですか」「ああ、電車のことね。電車も移動手段に入れたいけど、駅の位置によるからねー」

 むしろ誰にでも言われる可能性のある言葉なんじゃないか、と。「主語を抜かして話しすぎ」というのは。
 人によって各センテンスに主語を補う割合、と言うのが違う以上、いくつかの場所で起こりうることなのだと思う。
 そのうち、彼と上司も会話がかみ合うようになることがあるだろう。そうなって、彼らの関係も、もう少しくらいよくなったらいいなと思う。