諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

じおんりーにーとしんぐすとぅーいーと

 今日は野菜ジュースを飲んだ。
 相変わらず苦手だ。子供の時から緑黄色野菜を積極的に避けていた。今でこそある程度食べられるようにはなったものの、日頃の食生活で野菜が不足しているなんてことはしょっちゅうである。
 それを野菜ジュースで補えるとは思っていない。だけど摂らないとまずいかな、という心理がコンビニの紙パック売り場で飛来してくるものだから買う。最近では牛乳も同じ思考。
 野菜ジュースにも好みや種類がある。栄養価に任せたペースト状に近いものや、フルーツとの混合、特定の野菜に特化などなど。個人的にはフルーツがミックスされていてすっと喉を通るのが理想で、苦手ながらも飲み比べながら探している。

 小学校くらいの時は、野菜というと芋類と人参くらいしか食べられなかった。そんなことを覚えている。
 私の野菜苦手克服には、母が熱心だった。毎度工夫して「騙されたと思って一口」と私に勧める。何度も聞く台詞に私は警戒を強め、むしろ嫌になった。母が買ってくる野菜ジュースは飲みにくく、もはやペースト状のそれは野菜と同等かそれ以上に苦手意識を持つようになる。
 学校給食でも恒例の「食べるまで遊んでは駄目」を繰り出され、あまりお昼が楽しみではなくなっていた。

 変わったのはいつからだろう。
 父が「大人になると急に食べられるようになる時が来る」と言っていたが、その一般論時期はいったい何時なのか私は知らない。
 苦手意識が薄れるきっかけとしては、飲み会などの参加が大きかったのではないかと思う。最近では、周りに知らない人がいるほど野菜を食べるようになった。おそらく身内ばかりだと「残しても許される」というひどい思考が働いているのだろう。一人暮らしはその最終形だ。
 これは罵倒されても仕方がない。

 そんなわけで、野菜を自発的に料理するなんてことはなくなり、その埋め合わせにもならない埋め合わせのため、今日野菜ジュースを飲んでいる。いわばこの行為は過去の清算で、体に欠乏し切った野菜分をどうにか補おうとしているのだ。そのうち、代わりに子供の頃たくさん摂った肉類や魚類が体に余り始め、口がそれらを拒否するようになる。そうなると「食事」が好みによって食べていたはずなのに体によって制御されるようになり、あくまで健康のための栄養摂取になってい

 最後適当に書くの疲れた。もっとリズムに身を任せられないものか。