諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

実感のない経験則

  • 「誰も地球を踏み外したりはせんじゃろ!」(福本信行/アカギ)
  • Day by day,in every way, by the help of God, I'm getting better and better.(C.H.ブルックス、E.クーエ/自己暗示)

 自分に対し著しく効くセンテンスについて考えている。

 人にやる気を起こさせる文、格言、ことわざ。様々あるだろう。言葉を繰り返すことで心だけでなく体にも反射のようにしみこませる、という。
 その中でも、「自分にだけ例外的に効くもの」というのがあるのではないだろうか。ことわざなどは当然のことながらあらゆる人に納得されるものと規定されているわけではない。自分だけが持つ魔法の言葉。
 そしてさらに、その「自分にだけ効くセンテンス」には、経験が伴っているものと、いないものがある。

 一番目の例は、あるキャラクタによるものだ。「誰も地球を踏み外したりはせんじゃろ!」
 彼はこの言葉を繰り返すことで自分の絶対の自信へとつなげていったのだと思う。他にも自信に満ちた台詞が多い。
 しかしながらその言葉を聞く部下は不安げな表情。それはこの先の不安の存在だけではなく、この言葉を飲み込み自分の自信へとつなげていなかったからではないだろうか。
 ならば彼と部下が違う反応になる原因は何なのか。
 実感? それは決定的ではない。地球を踏み外した人は―おそらく、おそらくだけれど―いない。逆に、地球を踏み外すことなどまずないことは、彼も部下も当然身に染みて知っている。
 言葉の繰り返し? 確かに、彼はあの台詞を発する前からそれを頭の中で繰り返していただろう。それに対し部下はその台詞を初めて聞いた。ならば、部下があの言葉を繰り返せばやがて自信があふれだすのだろうか。

 一見、経験則による格言。その実、その経験はしていない。
 探してみればいろいろありそうだ。未来に自分が行うことを「人生」「進む道」と例えるように。すべてを捨ててでもという気概を「死ぬ気で」と例えるように。それ自体が実感を持っているかはともかく、人には効く。

 地球を踏み外すという実感はしていない。
 だけど彼は、その言葉が頭に残っていた。地球を踏み外すことなどない。地球を踏み外すことなどない。
 そしてそれが現実の「失敗しないこと」に適用できると何度も確信したのだ。私は失敗しないのだ、地球を踏み外すことなどないように。私は失敗しないのだ、地球を踏み外すことなどないように。
 実感が伴っていないが、その言葉は実感と連動している。だから信じることができる。
 信じるためには、初めの実感などいらない。その言葉が「今」あらゆることに適用できると知って、疑似的ながら、妄信的には信じるということができる。

 もしかしたら地球を踏み外すことがあるかもしれない。
 だけど彼は、それを信じないだろう。彼にとっては今までの実感が全てだ。
 ならば。
 もし彼がその後失敗したのなら、その時に知るだろう。あの格言は、万全ではないのかもしれない、と。