諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

悔しさの指標

 四月から話すようになった同年齢の人にこの間「将棋できる? 昔やってた? じゃあやろう!」とまくし立てられ、いつの間にか駒を並べていた、ということがあった。「最近ネットでやっててはまってるんだよね。勝率二割だけど」などといいつつ、彼は飛車を中央に持っていく。
 私の将棋歴は小学生以来ほとんど、である。一年に一回くらいPCソフトのCPU初級に挑んでは負けているくらい。どうしてもそれが悔しくて、喉元過ぎるとまた起動するという繰り返し。

 打ちながら、アナログゲームにおいて最も負けると悔しいものは何だろう、と想像してみた。当然個人差はあるだろうし、そのゲームへののめりこみ具合なども考慮すれば個人ランキングは変動するに違いない。では上達度を除いた状態での比較はどうか。
 考えて三十分。
 やはり将棋ではないかと思った。私にとって。
 序盤・中盤において状況だけ見た時の有利不利は判定しにくいものの、終盤における敗勢ははっきりわかる。そして敗勢になると自分の切り替えしを一つ一つ潰され、一手ごとに負けを意識させられる。個人的にこれがつらい。
 当然勝つ方も必死であり、勝勢である以上は気を抜かず詰め切らなくてはいけないというのがあるため、よりそれが際立っているように思える。

 麻雀も考えたけれど、大差負けと微差負けではその要因があまりに異なっているような気がする。
 トランプ関連も軒並み。
 あと、ゲームにおいて二人とそれ以上では、後者では悔しさが減る。「みんなに負けた」と「誰々に負けた」との違いにより曖昧になることが理由かもしれない。
 ボードゲーム……ガイスターは結構悔しかった。心理戦重視というのは大きいのかな。零和完全情報ゲームなどの、手がプレイヤーの上手さのみに左右される感じの。かといってランダム要素による運のなさも悔しさに発展する場合があるし。

 悔しさ度数を表したからといって、むしろそれが上達に向けた動力の一部になるかもしれないし、一概に、とは言えないのだけれど。
 結局その日は負けなくて、調子に乗ってソフトを起動したら中級にこてんぱん。やはり悔しい。