諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

ダイエットの行方

 ダイエットという言葉を聞くたび、高校時代のAさんの話を思い出す。前にtwitterでも書いたかもしれない。

 二年生の頃。旧知の女子Bさんと話をしていて、ある女子Aさんの話になった。
 私はそのころAさんと面識がないので知らなかったけれど、いつの間にか彼女は学校を休んでいたらしい。
 聞くと入院と静養だという。栄養失調、だそうだ。
「ダイエット」Bさんが言う。「してたらしいんだよね」
 私はそれを聞いた瞬間、よくある話だ、と思った。そう言おうとも思った。
 だが微妙に事態は違っていたらしい。
「無理して学校でもお昼食べてなかったから、止めなよってあたしたちも言ったんだけど聞かなくて。で、結局入院。お見舞いに行って、そこで話を聞いたの」声を潜めるBさん。「そしたら、ダイエット強要してたの、Aちゃんの彼だったんだって」
 ……なんで。
「ね、そう思うでしょ!」
 そう思うしかない。BさんはわざわざAさんの彼氏にも問い詰めたという。どうしてダイエットを勧め続けたのか、と。
「そしたらなんて言ったかわかる? 『俺の彼女には痩せてて欲しいから』だって!」
 台詞がふるっている、と思った。私が逆立ちしても出てこない言葉ではあると正直思うけれど、そんなことを言う人もいないとは限らない、のかもしれない。Aさんの彼氏は見たことがあるものの、そんな台詞は言いそうになかった。人というのは分からない。
 別れればいいのに。私はそう言ってみる。
「でしょー! ……でもさ、Aちゃん、『好きだから』って言ってダイエット続けたんだって。落ち着いたらまたやるらしいよ」
 その台詞もなかなか出てこない。
 『嫌われたくないから』の裏返しなのだろうか。本当にそれは対義語になっているのか不安になってきて、私は言葉を濁す。

 当然、今この話ができるということは、彼らはすぐに別れAさんも標準的な食事生活に戻ったから、に他ならない。
 ちなみに卒業式の証書授与で私は初めてAさんを見た。あ、あの人がAさんか、と。あくまで個人の感想だけれど、かなりの細身の人に見えた。とりあえず元気そうで何よりだった。彼氏の人とはもともと近い関係ではないし、どこに行ったのかも知らない。

 今でも思い出して時々考えてしまうのは、この話が「ダイエットは程々に。健康管理が大切」というだけの話では決してない、というところにあるのではないかと思う。「ダイエットからtをとったらどうなるかご存知だろう」なんてどこかの新聞記事のようなことを言っている場合ではない。
 共依存と言えば聞こえがいい。大事に至らなかったのだから今私はこんな話をできる。でもなんだか、考えてしまう。
 Aさんとその彼氏、どちらかもしくは両方が、「これ以上ダイエットを続けたら危険だ」という認識を持っていたとしても、果たしてダイエットは止まったのだろうか。今は確かめようがない。
 そんな意味で、『俺の彼女には痩せてて欲しいから』『好きだから』という両者の弁は同じくらい強い力を持っていたのではないか、と思う。
 人を駆り立てるのは、体重が減るという事実よりも、あんな強い言葉なのかもしれない、なんて。