諦め続ける薬

忘れることは、疲れに対する最高の薬。思い出に対する最悪の薬。

無意識に数字を変更することについて

  • 「文庫本一冊貸すためだけに往復一時間だよ!」
  • 「準備の時間含めなければほんの十五分です」
  • 「いやでもこのテストの点数、三分の二しか取れてないからねー」

 大きく見せたいとき、小さく見せたいときに数字をいじるのはよくある話。
 どう考えても嘘なのに、「事実自体は伝えつつも、具体的数字及びその表現を変える」ことで嘘っぽく見せなくする、ある種の話術。
 子供の頃からこんなテクニックを用いる状況が何度もあり、いったいいつ習得したのか、ということを考えている。

 このテクニックを使う状況ではいったいどんな意図があるのだろうか。
 考えてみるとそれは「何かを主張したいとき」であると思う。それも、ただその主張を声に出すのではなく、察してもらいたい時。

 一番目の例「文庫本一冊貸すためだけに往復二時間だよ!」において。ちなみにこれは昔の私の言葉。
 往復は二時間もかかっていない。もしくはかかっていたとしても片道三十分と言うと話の相手にまだ軽く見られてしまう、だから往復に換算している。……おそらくこんな思考だった。
 この台詞で主張したいことは「徒労」だ。ほんのちょっとの用事で長い時間の移動。この台詞によって相手に徒労を察してもらい、慰め、共感してほしい。疲れた主張のために「ためだけに」「往復二時間」「語尾強く」をちりばめる。
 たぶん思い通りの返答がもらえただろう。そしてそれにより、昔の私は溜飲を下げたに違いないのだ。

 具体的数字というのはそういう意味で強いのだと思う。伝わりやすいから。ごちゃごちゃした感覚は、長々と説明するより適したたとえを見つける方が早い場合がある。
 主張して、相手に受け取ってほしいとき、主張の説明の具体的数字をちょっといじる。
 そんなことは、それこそ子供の頃からやっているのかもしれない。
 例えば「転んで痛い」ことを強調するために、泣き叫びをより長くするように。
 例えば「たくさん待った」ことを強調するために、待った時間をこと細かく叫ぶように。

 当然、数字をいじる以外にも強調方法はある。一番目の例の「ためだけに」とか、「語尾強く」とか。特に子供の頃は具体例が出ず、無理やり強調することが多かっただろう。成長するにつれ新たな強調方法を得る、なんてことは十分にある。
 そして大人になると、数字を変更せずとも強調できることを知る。「言い換え」を用いて。

 有名な問題。
 飛行機の移動で、札幌から仙台までは一時間一〇分もかかるのに、仙台から札幌までは七〇分しかかからない。

 ……こんな言い換えは、いつ覚えるのだろう。
 嘘でもない、かといって端的でもない。曖昧な言葉で主張し、返答を引き出す。
 子供に戻ったって、この話術は捨てられない気がする。